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上天気の連休、頭もリフレッシュしました【05.05.06】
憲法集会でベアテ・シロタ・ゴードンさんの話をきく
連休はカラッといい天気が続いて、1日に田植え、2日は映画「パッチギ」、3日には名古屋の憲法集会、4日は東海自然歩道ウォーキング、5日には御在所岳登山、と「健全」な日々をすごしました。
今年の憲法記念日は、県内でもいろいろな催しがありましたが、私はベアテ・シロタ・ゴードンさんの話が聞きたかったので、名古屋へ出かけました。ベアテさんは幼少時を日本で過ごし、アメリカの大学を出た後に両親のいる終戦直後の日本に、米軍属として帰り、マッカーサー司令部民生局で働きました。
そこで新憲法の作成に参加し、特に「14条・法の下の平等」「24条・男女平等」などに力を尽くしました。ベアテさんは戦前の日本社会を実体験して、女性の社会的地位の低さを痛感していたので、その主張は男性スタッフにも受け入れられる説得力があったのです。当時22歳、「小娘が」新憲法に関わったと言われないために、長い間ベアテさんは沈黙を守ってきたのだそうです。
次の言葉がいちばん印象に残りました。「憲法は押し付けられたという人がいます。しかし、誰が自分の持っているものより良いものを押し付けたりするでしょうか」世界の最先端の内容を詰め込んだ憲法は、当時の国民が喜んで受け取ったプレゼントだったのです。「平和・自由・平等・民主主義」、いちばん望んでいたものを手に入れた日本国民は、心から新憲法を受け入れたのです。
1970年前後のあの「空気」、「パッチギ」を観る
観たかったけど、3月に名古屋まで行く暇がなく、あきらめていた映画「パッチギ」が四日市に来たので、勇んで出かけました。1968年の京都、朝鮮人高校と日本人高校生の対立と友情、終始バックに流れる「イムジン河」のメロディ、フォーククルセダースの歌。「戦後」の尾を引きながら高度成長に燃える日本、問題は山積しているが、なにか未来は明るいと感じていた若者たち。私も映画の主人公たちと同世代、同じ時代の空気を吸っていた。久しぶりに「青春」を感じた2時間でした。
残念ながら四日市での上映は、8日で終わりです。「元青年」の見たい映画は、近ごろめったにありません。
人間が主人公の世の中に
1947年の新憲法制定、敗戦と荒廃の中から希望を見出した日本、70年代前後の成長と繁栄のなかでも「連帯」を感じられた日本。そこから90年代バブル経済の「モノ・カネ」優先、人間あとまわし、21世紀に入っても一向に先の見えない日本。
3日夜、テレビ「ガイアの夜明け」で、「ニート」と呼ばれる若者などの問題に迫る番組がありました。亀山のシャープでこき使われる青年労働者のことで、服部議員もチラッと出演していました。マスコミも最近やっと、若者の実態を直視するようになってきました。「彼らは被害者なのだ」という視点で。
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