<< 活動日誌の目次に戻る印刷用画面 >>

鈴鹿の戦争遺跡をめぐる【05.11.21】

9条の会すずかの現地学習会

海軍航空隊、飛行機の格納庫を見る19日、秋晴れの鈴鹿をマイクロバスで回り、「軍都鈴鹿」のなごりの場所を訪ねました。最初は西玉垣の「地蔵の大松」、これは樹齢1500年の立派な松で、これ自体は遺跡ではありません。しかし、海軍航空基地を作る際に滑走路の邪魔になるので切り倒そうとすると事故が起きたり関係者が急病になったりして、とうとう切られずに残ったという話が伝えられています。
次が旧電通学園、ここは海軍航空隊の正門や格納庫3棟が残っています。映画「埋もれ木」の撮影場所になったほど広い建物です。

機銃の発射場、海軍工廠の正門銘板など

発射場の跡、ドーム状になっていたとのことサーキットの西側には、海軍工廠で作った機銃と弾丸をテストする発射場が残っています。分厚いコンクリートで、以前は弾がいっぱい埋まっていたそうです。また、ベルシティと旭化成の間の交差点部分が、海軍工廠の正門だった所で、その正門にあった銘板が保存されて旭化成の南側にあります。

いちばん見ごたえのある、コンクリート製掩体壕

大きなホールのような掩体壕、登ってもびくともしない午後は鈴鹿川を渡って、陸軍施設のある西部を巡りました。荒神山の西、白鳥レイクタウンは陸軍第1航空軍教育隊の跡。コンクリートの基礎などが残っています。
名阪鈴鹿インター北側一帯は、秘匿飛行場があり、土の掩体壕がまだ痕跡をとどめています。三畑のコンクリート製掩体壕は堂々とした姿で、参加者は「オー」と声を上げました。完成したときには敗戦、一度も使われることも無く、その後は農業倉庫として60年、今も現役です。文化庁の登録有形文化財に指定されています。

中は暗くてヒンヤリしています


町中が軍隊と戦争一色だった

今からは想像もできない、戦争のために作られた鈴鹿市の町、山から海までそこら中に散在する遺跡を見ると、この「軍都」が平和産業の町として発展し今日にいたったのは、二度と戦争をしないと誓った憲法9条があるからだと、体で実感できます。戦争遺跡の保存と活用を、しっかりしていくことの重要性を改めて考えさせられました。

亀山市の古川電工南にある陸軍飛行場の倉庫跡


<< 活動日誌の目次に戻る印刷用画面 >>

 ご意見、ご感想をお寄せください。

このページの先頭に戻る

ホームページに戻る