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弓矢裁判の最終弁論おわる【05.12.10】

判決は来年3月20日に

法廷後の集会で発言する原告・弓矢先生12月6日、名古屋高裁で弓矢人権裁判の法廷が開かれました。今回はこれまでの締めくくりとして、原告・被告双方の最終弁論が展開されました。弓矢先生側は石川弁護団長、山之内、服部、長谷川弁護士が論点の担当ごとに相手側の主張にしっかりと反論し、最後に弓矢先生が、この事件の当事者としての思いをうったえて終わりました。
被告・解放同盟と県教委側は、相も変らぬ「弓矢は差別者」「糾弾会は正当なもの」という論理に終始しました。

何度も裁判を傍聴してきて思うことは、世の中にはこんな「敵と味方」を逆さまにした、「加害者と被害者」を取り違えた屁理屈が、堂々とまかり通ることがあるのか、ということです。弁護団がことごとく反論し「人権の名による人権侵害」の不当性を明らかにしても、解同と癒着した県教委は平気な顔をしています。こんな連中が教育や人権を語ることなど、絶対に許されないと思います。本当に「ワル」はこの世にいるんだなあ、と感心し、下手なドラマなどより面白い場面をタダで見られたことも、私には収穫でした。

もう一つは、すばらしい弓矢弁護団の活動です。「助けてください、でもカネはありません」の依頼に答えて全国から手弁当で駆けつけた日本で最強の面々が法廷に座っただけで、相手を圧倒する迫力がありました。西日本各地で部落解放同盟の無法とたたかい、多くの裁判を連続勝利してきた弁護団の活動は、市民の集会での発言も法廷での弁論でも「目からウロコ」の論理的解明で、関係者に勝利への確信を与えました。
解同側は弓矢さんらをつるし上げた「糾弾会は学習の場」などと言い逃れましたが、私はこの裁判の法廷こそが、人権とはなにか、真の差別解消の道はなにか、を腹に落ちるまで学ぶ、ほんとに良い「学習の場」であったと感じたのでした。

父親の葬儀を終えて

葬儀・告別式は自宅で行ないました。お通夜の様子です12月4日は、あいにくの雨降りとなりましたが、親戚や地域のみなさんの協力のおかげで、葬儀・告別式を終えることができました。わが家の場合には、10月の時点でもうそれほどは長くないだろうと、心の準備、家の準備をそれなりにしてきたので、ドタバタの混乱はなしで済みました。親戚や知人のみなさんも病院にきて「お別れ」もでき、それぞれの「納得」もありました。「遺影」の写真も、一番いい顔をしているのを選んでおきました。

しかしそれが、突然の事故とか急病とか、新聞に出るような事件とかで肉親を失ったような場合には、どうなるんだろうと思います。心の準備も整理もなく、目の前に冷たくなった肉親が横たわっていたら、しかも葬儀や火葬は決められた時間で進められていくし、後の始末もいろいろ山積して、本当に大変だろうなと思います。

あらかじめ準備していたつもりでも、実際はいろいろあって、まだ正月を過ぎても残りそうです。5日からは12月議会が開会されていて、こちらは手を抜くことはできません。13日の一般質問の出番に向けて、頭を切り替えつつあるところです。

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