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日本国憲法を読み直す【06.05.02】

9条は、憲法の実質的「第1条」なのである

庭のハナミズキ5月3日憲法記念日がまたやってきます。「憲法を守れ、9条を守れ」と日ごろ唱えているのに、実際に憲法の条文を私はきちんと読み、理解しているだろうか?先日の9条の会すずかの1周年記念の講演を聞いていて、そのことをしみじみ感じました。三重大の寺川先生が、「公共の福祉」という言葉が憲法の条文のどこにどう使われているか、という話をされて、目のウロコが取れたような気がしたのです。
さっそく憲法前文から読み直してみて、気がついたことがあります。それは、第1〜8条が「天皇」についてあれこれ述べて、その次に「国民」が来るかと思えばそうではなく、9条「戦争の放棄」があるということに、改めて注目させられたのです。
つまり、日本の憲法は、10条以降の国民の要件や権利義務という大事な規定のその前に、「もっと大事な」規定として「戦争の放棄」9条の一文を据えたのであります。その前の「天皇」の規定は、明治憲法下で日本を破滅にみちびいた天皇制度の手足をがんじがらめに縛るために8条もの文章を費やしたものであり、そう考えると、日本国憲法の実質的な「第1条」は、実は「戦争の放棄」だということなのです。したがって、これを狙い撃ちにして変えようという企ては、現憲法の根本をひっくり返そうという暴挙なのだということです。

お経のように毎日憲法を唱えよう

シャクナゲの花昨年12月に父親が亡くなって、49日の忌明けまで毎晩、わが家ではお経をあげました。死者の魂がぶじに彼岸に渡るまで、祈りをささげるということなのでしょうが、わが家は曹洞宗、「般若心経」「修証義」「舎利礼文」を毎晩読みました。
お経というのはチンプンカンプンですが、それでも毎日読んでいると、何となく意味が分かってくるような気がするのです。それも、黙読ではなく大きな声で、一同そろって読むと、むずかしい経文がすーっと頭に入ってくる感じがするのです。
難解なお経でも、毎日読んでいると身についてくる、これが分かりやすい、しかも現実に生きている憲法の条文ならば、しっかりと血肉になるのではないかと思うのです。毎日といわなくても、ちょっと時間のある時に、声を出して憲法を読むことを、これからは「行」にしようと思っています。

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