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2008年スタートの街頭宣伝【08.01.10】

中野たけしさんと市内を回って

若松駅前で中野さんと宣伝正月過ぎの天気は、これが冬かと思うほどの暖かさですが、これ幸いと9日、市内7ヶ所で街頭宣伝を行ないました。森川さんと私、そして衆議院予定候補の中野たけしさんで出かけましたが、どこでも住民が外に出て聞いていただきました。
自民・公明の悪政を今年は打ち破ろうと、国政での共産党の前進を訴えました。

鹿児島・指宿温泉に小旅行をしました

名所・長崎鼻からのぞむ開聞岳正月明けの5〜7日、鹿児島の指宿温泉とその周辺を旅行しました。このごろは「寒がり」になったので、とにかく暖かい所に行こうと、夫婦で出かけました。
指宿の名物は、何と言っても「砂むし温泉」。朝晩4回入って堪能しました。寝転がって砂の中に埋もれていると、背中からじんわり温まってきて体がほぐれたような感じになりました(帰ったら1日で元に戻りましたが。)
1日中ポカポカ、さすが南国と喜んでいたら、この日は鈴鹿もポカポカだったとあとで聞きました。「薩摩富士」といわれる開聞岳の風景もすばらしかったです。

特攻隊の記録が残る知覧の町

特攻記念館の前でレンタカーでのんびりと枕崎や長崎鼻をドライブし、最後に知覧の町に行きました。ここは戦争の末期、陸軍特攻隊の飛行機が出発した基地として有名な所、記念館を見学しました。特攻で死んだ多くの若者の写真や遺書、辞世の句などがいっぱいに展示されていて、一つづつ見ていると、胸が痛くなってきます。17才から25才の若者が、ただ死ぬことだけを目的に飛び立っていった。遺書には多く「お母さん」への別れの言葉が書き込まれています。
ここは「二度と戦争はしてはならない」との思いが強く感じられ、戦争を賛美する靖国神社の遊就館とは違います。「英霊」などの言葉は使っていても、理不尽に死を選ばされた若者を「英雄」ではなく、家族思いの息子として、戦争の犠牲者として扱っています。

「小京都」、歴史ある武家屋敷の落ち着いた町

知覧の武家屋敷群の通り知覧の町は、江戸時代の歴史的な武家屋敷の町並みが多く残るいい所でした。鈴鹿の町と同じように、戦争の末期に急に「軍都」にされたのですが、「小京都」と「軍都」という相異なる側面をもつ町として有名になったのも、皮肉なことです。
前から一度は行きたいと思っていた町を見ることが出来て、満足できた小旅行でした。

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