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原水爆禁止2011世界大会・長崎に参加しました【11.08.10】
原爆も原発もいらない、が合言葉に
8月7〜9日に長崎市で開かれた、原水爆禁止世界大会に三重県代表団の一員として参加してきました。久しぶりの参加でしたが、今年は福島の原発事故を受けて、「放射能から命と健康を守る」課題が鮮明に出されて、盛り上がった大会になりました。会場の市民会館には全国から約8千人が集まり、諸外国の政府や運動団体の代表が多く参加、また若者がたいへん多く参加していました。
全体集会では、国連の軍縮問題責任者のセルジオ・ドゥアルテ氏、田上長崎市長が挨拶に立ち、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」を訴えました。また共産党・志位委員長も、飛び入り挨拶しました。
原発からの脱却を訴える田上長崎市長
ヒバクシャは日本だけではない、驚くべき事実
8日の分科会で、新たな事実を知りました。核兵器の製造や核実験によって、多くの地元住民が放射能の被害にあっていること、しかも1940年代から今まで続いていること。「ヒバクシャ」は、広島、長崎、ビキニだけでなく、アメリカ、ロシア、ポリネシア、マーシャルなどで、深刻な被害を出していること、などです。
アメリカ・ワシントン州・ハンフォードから来た、トム・ベイリー氏は、長崎に落とされた原爆を製造したハンフォードの工場で1940年代に重大な事故があり、40万人が放射能汚染の被害にあったと告発しました。
ロシア・チェリャビンスクから来たミーリャ・カビロワさんは、チェロノブイリよりもずっと以前の1945年に、プルトニウム製造工場の3回の事故により、48万人もの住民が被曝し、彼女の7人の子どものうち、甲状腺の異常2人、遺伝子異常2人、そして2人が死亡したことを報告しました。
マーシャル諸島ロンゲラップ島から来たアバッカ・アンジャイン・マジソンさんは、67回の水爆実験が行われたこと、ビキニでは87人が犠牲になったことを語りました。
また、仏領ポリネシアのムルロア環礁から来たロラン・オルダム氏は、1966年から96年までに193回の核実験、うち43回が大気圏内で行なわれ、環礁の3分の1が沈下してしまったと語りました。
今や原爆と原発は同じ危険なものであること、一度事故を起こしたら取り返しがつかないものであることは、世界の共通認識になりつつあります。「フクシマ」をかかえる日本の責任は、重大です。
大会会場の隣は、有名な「めがね橋」です
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