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戦争遺跡保存全国シンポジウムが鈴鹿市で開かれました【12.08.19】

「軍都鈴鹿」市制70周年の年に

戦争遺跡保存全国シンポの全体会18日、市文化会館で「第16回戦争遺跡保存全国シンポジウム三重県鈴鹿大会」が開かれ、全国からと市内からの参加者が450人集まりました。
「戦争遺跡を平和のための文化財に」をテーマに、基調報告、地域報告、記念講演、文化行事などが行なわれました。鈴鹿市は、そもそも1942年に鈴鹿海軍工廠建設のために2町12村が合併してできた市で、いまだに中心がどこか分からない、「ヘソのない街」になっています。
当日の報告やロビーの展示などを見て、改めて思ったのは、よくもこれほど市内・県内・全国各地に軍事施設や軍事工場を作ったものだ、それも明治から昭和20年までの短い期間に集中的に、莫大な国家予算と技術と人をつぎ込んで。その物量と労働を国民の暮らしのために使っていたら、どんなに日本はいい国になっていたのだろうか、ということです。
もっとも今は、戦争もしていないのに莫大な借金とムダな公共事業、増税で国民の暮らしが急迫しているという事態で、こちらの方が深刻だとも思います。

9条守る運動、原発なくす運動を強めよう

自由が丘団地の盆踊り会場で大会の全体会では、鈴木県知事、末松市長、矢野議長があいさつし、戦争遺跡保存への意思を表明しました。しかし会場を見ると市会議員では私と森川さん、県議は藤田さんぐらいしか見当たらず、まだまだ軍都鈴鹿の原点を見直そうという機運は高いとはいえない状態です。
先日のNHK番組で、敗戦時の軍部や政府の無責任な態度が降伏を8月まで遅らせ、沖縄、広島、長崎の惨事を防げなかったことを、新たな証拠を元に告発していました。見ていて、原発事故のときと同じ構造だなと感じました。その意味で、この国の支配者の頭が70年前と何も変わっていない、国民のことなど考えていない、ここを変えることが大事なんだと痛感しました。憲法9条を守ることと、原発をなくすこと、暮らしを守ることを一体にして、社会を変えていく運動を進めていかねばなりません。

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